戦前の宜野湾集落をCGで再現

2016年4月28日

失われた美しい街並みの再現 !!!

普天間基地の建設に伴いアメリカ軍に接収された宜野湾集落の戦前の様子がCGで再現さ­れ、先日25日に公開された。

昨年五月、自民党本部で開かれた若手国会議員の勉強会での、作家の百田尚樹氏(元NHK経営委員)の「普天間基地は田んぼのなかにあった。周りには何も無い。そこに商売になるということで住みだした」という発言。

その発言が、歴史を歪め、意図的に接収の歴史を隠蔽するものとして、また、基地に依存する沖縄という印象操作をするものとして、大きな怒りの声をよんだのだ。

今回のこの意義深い史的研究の成果に敬意を表し、再度、不安クラブ版「沖縄米軍基地問題検証プロジェクト」 No. 2 を投稿する。

自民党本部若手の「勉強会」とは、いったい何を勉強する会なのか。少なくとも、まっとうな人材を呼んでの、まっとうな勉強会ではないことは明白。

メディア公開もせず、税金で極右秘密会議を開いているようなものだ。国民を愚弄し、歴史を歪める言説を流布するな !!!


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破壊され接収された人々の暮らしの場 !
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「沖縄米軍基地問題検証プロジェクト」
▶ Q 1-2: 何もないところに普天間基地が建設され、住民が後から周りに住み始めた。???
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現在普天間基地が占めている場所は、沖縄戦で破壊されるまで、8,800人の住民がいる農村部でした。ここには、村役場、小学校、郵便局があり、砂糖キビ絞りの小屋や闘牛場、天然記念物の松並木もあり、当たり前の生活が営まれる場所でした。

この時の写真は、字宜野湾郷友会編『写真集じのーんどぅーむら』に収められています。また、米軍が1945年沖縄戦前に撮影したこの地域の偵察航空写真が公開されており、それには、畑や家々がはっきり写っています。この一部は、宜野湾市教育委員会編『ぎのわんの地名 内陸部編 付録地図』に収録されています。

また、現在でも普天間基地内には、当時の住民の墓地や拝所(祈りをささげる場所)が残されている場所があり、米軍は、沖縄で先祖を祭る日である清明祭や盆には、旧住民の基地内の墓参り等を許可しています。

普天間飛行場沖縄戦で上陸した米軍が「本土爆撃用」にそこにあった住宅、集落、学校、畑などを敷きならして勝手につくった飛行場です。戦火を避けて住民が避難していた(あるいは米軍の捕虜になって収容所にいた)間のことです。

写真② は、1945年6月、米軍による普天間基地造成中の写真で沖縄県公文書館が所蔵しています。戦前の普天間主要道路の松並木がはっきりとわかります。

住民は戦後、自分の土地に戻れず、普天間基地の周辺に住まざるをえなかったのです。今も、3,000人以上の地主に普天間の地料が毎年払われているのが、人が住んでいた何よりも明瞭な証拠です。インターネット上にある、「何も無かった」証拠の航空写真は、飛行場の造成工事中に撮ったものだから「何も無い」のです。(佐藤・真喜志)

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「沖縄米軍基地問題検証プロジェクト」のブログから
http://okidemaproject.blogspot.jp/

写真 ① 1945年ごろの普天間上空の写真。赤線内が普天間飛行場
琉球新報普天間接収の歴史発信、百田氏の誤認、一目瞭然」
http://ryukyushimpo.jp/news/prentry-245002.html

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前項へ ▶ Question 1-1
https://www.facebook.com/506639596191753/photos/a.507102569478789.1073741828.506639596191753/526019910920388/?type=3
辺野古基地は、普天間の代替施設ではない、巨大な「新基地」建設だ。
次項へ ▶ Question 1-3
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=526681720854207&id=506639596191753

 

 (現在、RBCの動画は削除されてます。代わりに琉球朝日放送のリンクを貼りつけました。)

 

www.qab.co.jp

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