Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

偶然の一致か? 4月1日の沖縄侵略 ②

2016年10月12日

#4月1日の侵略 其ノ二

さて次は

アメリカ軍の沖縄上陸作戦

4月1日って何かあるんでしょうか?

島津もアメリカも
4月1日に沖縄本島に攻め込んできました。

珊瑚礁(リーフ)に苦戦したのも同じ。

沖縄はサンゴ礁に守られてきたんだなぁ。

http://www.okinawa-senshi.com/landing-new.htm

米軍の上陸戦闘

1 上陸作戦概説 
  1945年3月23日以来、米艦載機による沖縄本島に対する攻撃が活発となった。24日には沖縄本島南部沖合に米艦艇が目撃され、これ以降沖縄本島南部地区に対して艦砲射撃が開始された。沖縄第32軍はこの状況から、沖縄本島南部(湊川地区)への上陸を考慮、防御を担当する独立混成第44旅団の戦備の度を強化した。
  27日からは本島全域(特に飛行場のある伊江島・嘉手納・読谷地区)に対して米艦載機が来襲した。 28日早朝、湊川正面に艦砲射撃が加えられ、それに引き続き米軍の上陸用舟艇が一斉に発進したが、舟艇はリーフの線で射撃と掃海を行って反転した。 だが沖縄第32軍司令部は、湊川地区への艦砲射撃が閑散であったことを見抜き、米軍の本島南部への上陸に対して疑念を抱き、結論として嘉手納正面に主上陸作戦が行われると判断した。 (正確には嘉手納正面に3~4個師団が上陸、1個師団程度が南部に上陸するという米軍の2正面作戦と結論付け、南部の日本軍部隊を北上させるという方策は取らなかった)

 4月1日。 当日の天候は晴天、日の出6時21分、満潮時間は9時10分であった。(米軍は艦艇が海岸近くのリーフを越えさせるために、満潮を利用しようとした)
 日本軍は数日前から嘉手納正面に徹底した艦砲射撃や航空攻撃が加えられていたことから、概ねの上陸地点を予想していたために、上陸に関して大きな混乱はなかった。
 沖縄第32軍司令部は、0800過ぎに「敵は本島に上陸を開始す。嘉手納正面2~3個師団、湊川正面1個師団内外」と米軍の上陸を報じたが、湊川正面の米軍は上陸直前に反転、海兵隊1個師団を使用しての欺騙作戦であった。 

嘉手納正面に上陸した米軍は、日本軍の抵抗がほとんどなかったことに驚かされた。それは日本軍が戦略持久の目的として、損害が大きくなる対着上陸戦闘を捨てて主力部隊を首里周辺に配備していたためで、上陸海岸付近には僅かな兵力しか配備していなかったからであった。 その結果として、上陸1日目の米軍の戦死者数は28名、行方不明27名であった。

 これに対し上陸1日目に激しい戦闘が行われた硫黄島での損害は、戦死548名、行方不明18名、負傷1755名、戦闘疲労(精神障害)99名であった。 

沖縄本島の上陸戦闘は、いかに日本軍の抵抗がなかったかが理解できる。

saigaijyouhou.com

 

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