キルギスの誘拐婚との共通点
2016年9月16日
奇異に映るキルギスの誘拐婚は違法です
ーー構造的差別とはーー
先日TVで、キルギスの誘拐婚の映像が流れた。
違法にも関わらず伝統であると誘拐し無理やり結婚する、その誘拐の映像だ。
これは、なんか似ているぞ。
『まあ恐ろしい、でも伝統ならいいんじゃない?』
『怖くて嫌でした。でも逃げられないし逃げるのは一族の恥。受け入れてそこで頑張ります。』
『ごめんね。でもこれで俺は安心。幸せにするから我慢して。』
『自分はもう逃げられない仕方がない。でも子供は同じ目に遭わせたくない。』
『大きな声を上げた、暴れた。でも他の人は見て見ぬ振り。絶望した。受け入れるしかない』
『彼女はもっと声を上げるべきだ。受け入れたんなら本人の責任じゃない?』
『伝統に沿って生きるのは幸せ。そういうものだ。女性に人権なんかないよ。』
『一族の存続のためには必要悪。受け入れていいこともある。子供はかわいいよ。』
『彼女は選ばれたんだ。誘拐されて良かったのでは?ご飯も食べさせてもらって文句言うのはおかしい。』
女性を(沖縄)に置き換えてみてください。
あなたはどの立場に立ち、どう思う?