Osprey Fuan Club

~ 沖縄の歴史から現代の政治まで ~

「母べえ」と日露戦争

2016年9月3日

NHKプレミアムで「母べえ」やってます。
NHKは何を思いこの映画を。
きっと同じ思いです。

「 1937年のある日の早朝、父べえ(とうべえ=野上滋)は、特高警察によって検挙され、巣鴨拘置所に収監される。思想犯が国体変革を狙う不届き者として白眼視される時代に、父との往復書簡を挿入して、家族が支え合って明るく暮らす姿が描かれている。」

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2016年9月3日

母べえ」をみて

日露戦争とは?
歴史から学ぶか、繰り返すのか、

  ☆気がついたときは戦争になっていた。

『こうして主戦論の浸透は、事実以上にロシアに対する脅威感をあおり、 同時に政府を「恐露病」と罵倒することになります。
原敬によれば、こうした批判にさらされた政府もまた「少数の論者を除くのほかは、内心戦争を好まずして、しかして実際には戦争の日々近寄るもののごとし」
(『原敬日記』1904年2月5日)
という自制のきかない状況に自らも落ち込んでいく様子を率直に告白しています。
原はまた表面的には開戦論が世論を指導していたようにみえて実態とは異なっていたことを
「我国民の多数は戦争を欲せざりしは事実なり。政府が最初七博士をして露国討伐論を唱えしめ、また対露同志会などを組織せしめて頻りに強硬論を唱えしめたるは、かくしてもって露国を威圧し、因てもって日露協商を成立せしめんと企てたるも、意外にも開戦に至らざるをえざる行掛を生じたるもののごとし。... しかして一般国民、なかんづく実業者は最も戦争を厭うも、表面これを唱うる勇気なし。かくのごとき次第にて国民心ならずも戦争に馴致せしものなり」(『原敬日記』1904年2月1言日)
と観察していました。

 ここには、戦争に踏み込むときの、自分でも望んでもいないにもかかわらず、制御しきれないままに、流されていって取り返しがつかなくなるという心理過程が示されているのではないでしょうか。

そして、このように自らが決断したという明確な自覚もないままに、戦争がいつの間にか近寄 ってきて、

「気がついたときには戦争になっていた」

という思いのなかで、多くの日本人は日露戦争を迎え、
さらにその後も同じような雰囲気のなかで「流されるように」いくつかの事変と戦争へと突入していくことになります。』

山室信一氏著『日露戦争の世紀』岩波新書

柴野貞夫時事問題研究会HP

 

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