2016年8月29日
不発弾 その2
不発弾とは、
米軍が撃ち込んだものだけではなく、
日本軍が持ち込み捨てたものもある。
1974年(昭和49年)聖マタイ幼稚園そばで行われていた水道工事の現場で、旧日本軍が使用していた機雷(不発弾)に重機が触れて爆発した。
幼稚園ではその時、ひな祭りの行事を行っていた。戦後を生まれたはずの園児たちにとって、突然おこった戦災。
あの鉄の雨と言われた沖縄戦、沖縄に撃ち込まれた砲弾は20万トン。そのうちの5%が不発弾として残された。
また、旧日本軍が残した不発弾は数さえも把握できていない。
およそ1万トンの不発弾を復帰前から現在に至るまで処理が続けられ、今なお2300トン以上の不発弾が残されている。
沖縄本島全ての不発弾を処理するまでには少なくともあと60年かかる。
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不発弾 ①
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