放影研オープンハウス

2016年8月4日

放影研オープンハウス ① 広島 8/5-6
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なんだ、
この底の抜けた明るさは (怒) (怒) (怒) !!!

戦争は人が人でなくなる。

世界初の原爆を落とされた広島は、焼けただれた放射能の荒地となった。命をえぐられた街。そしてすぐのことだ。米軍の指令のもと、その街を見下ろす比治山に米国科学アカデミー(NAS) が一つの研究所を建てた。

これが、あの悪名高い ABCC (原爆傷害調査委員会) の始まりだった。すべての被爆者が、あたらしい核の時代の核戦略研究のための、まさにモルモットにされたのだ。

治療は一切行わない。おびただしい人々が、やけどと放射能とに悶え苦しみ死んでいくのを、ただただじっくりとデーター蓄積していく。広島と長崎は、広大な放射能の実験場だった。

いまもその ABCC は、放射線影響研究所(RERF)と名前を変え、日米共同研究機関として福島のデータをとり続けている。

ここ、放影研が、
夏のイベントをするという。

ここで苦しんで治療も受けられず、「人間として感じうる最悪の痛み」に耐えながら死んでいった多くの人の魂が叫ぶ。

ここがどういう場所だったのか知ってほしい。

そして、ここがなぜ今だに存在しているのか、
その理由を考えてほしい。

なによりも、
こんなうすら寒いプロパガンダに
だまされてはいけない !!!

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▶ ABCCに関する朝日新聞の記事(1998年7月29日付)。

Q: ABCCの研究は軍事目的だったのですか。

A: 研究は、核兵器が人類にとってどんな意味を持つかを決めるためのもので、冷戦戦略の一部だった。米国の将来の核戦争に備えるためだったことは疑いの余地がないニューヨークに原爆が落とされたら社会的にどうなるか、人問がどうなるか、というモデルでもあった。

Q: ABCCは調査だけで治療はしないといわれてきました。なぜでしょう。

A: 治療すれば、原爆投下の謝罪につながると考えていたようだ。ABCCは、多い時は千人を超える職員を抱えていた。16万の被爆者を選び、どこでどんな状況で被爆したかを数年かけて一人ひとりにインタビユーし、亡くなった7500人を解剖した。

(記者のコメント)現在も母集団の12万人について、亡くなるたびにその死因を追跡し2万人を2年に1度健康診断する。8万人の被爆二世、そして2800人の胎内被爆者の調査も継続中だ。放射線以外でも、疫学調査としてこれを超える規模のものは世界に存在しない、といわれる。

http://blogs.yahoo.co.jp/mitokosei/26276180.html
ABCCは何をしたか

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http://www.rerf.or.jp/index_j.html
公益財団法人放射線影響研究所放影研

 

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