2016年5月16日
沖縄の保守
沖縄でいう保守と、現在日本で言われている保守は、違うのです。
沖縄の保守とは、県民の生活を保ち守るという意味の保守。
翁長知事も、保守です。
過去に遡れば、琉球最後の王は、沖縄最初の保守と言えるかもしれません。
島津と戦いを辞めよと家臣(臣下)に伝え、王自身の身を敵に委ねることで、これ以上の民の犠牲を防ぎ、琉球を守ろうとしたのです。
琉球王は島津に連れゆかれ、その後東京に移住させられました。
その有様は、まさに民の命が宝。
『命どぅ宝』命こそ宝
戦さ世んしまち
みるく世ややがて
嘆くなよ臣下
命どぅ宝
「戦の時代は終わった。やがて、平和で豊かな時代がやって来るだろう。嘆くな、臣下。命こそ宝(命を粗末にはするな)。」
この言葉は琉球王朝最後の国王である尚泰が、琉球処分で首里城を明け渡すときに民の前で歌った琉歌(和歌とは違い8、8、8、6という字数、リズムに柔らかさがある)とされていますが、
実際は、その際の様子を土台にし、
「首里城明渡し」という沖縄芝居の中で作られ歌われた歌のようです。
臣下は、民は、見ていたのです。
沖縄の苦悩はそこから始まりました。
そして、『命どう宝』という言葉は平和を希求する沖縄の心を表す言葉として、いつまでも語られていくと思います。
沖縄で言われる保守とは、困難と苦悩を抱えながら、ベターな選択で民を守ってきたのです。