沖縄戦の記憶

72年前のきょう 1945年5月16日 「沢山のブリキの兵隊」

人間的な感情を捨てなければ、戦争はできない。 人を殺すことに罪悪感を感じていては、戦争はできない。 NHKスペシャル「沖縄戦 全記録」の中から、日本軍の救護班にいた女性の証言を紹介する。 『身を潜めていた壕に火炎放射の攻撃を加えられたときのこと。…

72年前のきょう 1945年5月15日 「戦闘と基地建設」

今日は沖縄が「日本に復帰」して45年の日。 午後7時半から、NHK沖縄放送局が特別番組を放映していた。 様々な意見を持つ人々を集めて、復帰や基地問題について議論していた。 その中で、沖縄の若い人たちは、沖縄戦に関することは学んでいても、 基地問題に…

72年前のきょう 1945年5月14日 「“戦力”として必要」

最後の一兵まで戦え!との命令に従い、どんどん兵力を消耗していった第32軍。 地上戦は陸軍が担当する…という取り決めも無視し、小禄の日本海軍部隊も動員し始め、まだ前線に配置されていなかった学徒隊も、どんどん兵力として、戦力として、前線の部隊に引…

72年前のきょう 1945年5月13日 「村全体を破壊する命令」

『米軍は、日本本土も空爆した』 『東京大空襲もあった』『広島、長崎には原爆が投下された』『…だから、沖縄だけが犠牲になったわけじゃない』 沖縄県民が沖縄戦を語るとき、上のような反論が投げつけられる。 『いつまで犠牲者ぶるのか』とまで言われるこ…

72年前のきょう 1945年5月12日 「今帰仁村での住民虐殺」

沖縄本島北部、本部半島にある今帰仁村でも住民が虐殺された。 北部の山中にいた日本兵は、山賊化していた。 武器を持ちながら山中を歩き、住民から食糧を奪いながら、 米兵をみつけたら、「遊撃戦(ゲリラ戦)」をするつもりでいた。 しかし、逐一上官から命…

72年前のきょう 1945年5月11日 「警察別動隊の沖縄脱出」

昨日、第32軍の神(じん)航空参謀による「沖縄脱出」のエピソードを紹介した。 今日と明日にかけては、沖縄県警察で極秘に編成された「警察特別行動隊」の「沖縄脱出」エピソードを紹介したい。 神航空参謀の目的は、大本営に「沖縄での一大航空攻撃」を具申…

72年前のきょう 1945年5月10日 「沖縄島からの脱出」

第32軍司令部は、航空参謀1人を東京へ派遣することにした。 沖縄方面にこれまで以上の航空攻撃を要請するためだ。 つくづく、バカな人間たちが軍首脳陣だったのだ、と再確認できるエピソードである。 米軍が制空権、制海権を握るなか、 沖縄本島南部の沖合に…

72年前のきょう 1945年5月9日 「島の激変ぶり」

米軍は、大日本帝国や日本軍に「洗脳」された沖縄住民の抵抗をやわらげるべく、 あらゆる方法で壕内にいる人びとに呼びかけをした。 投降を促すビラを投下したり、スピーカーを通した呼びかけをしたり、 また、通訳兵や米軍にいた日系アメリカ人らも活用した…

72年前のきょう 1945年5月8日 「ドイツ降伏のニュース」

72年前の今日、ドイツが降伏した。 そのニュースは、ここ沖縄にも伝わった。 ドイツの降伏を知った米兵たちは、 自分たちが直面している敵も、早く降伏してくれと願った。 しかし、その敵は、その後三ヶ月以上も抵抗し続ける。 米大統領のトルーマンはドイツ…

72年前のきょう 1945年5月7日 「収容所の青空学校」

米軍は、沖縄本島中北部や周辺離島の制圧に成功した後で、 それらの地域や島々にいた人たちを収容所に集めた。 現在のうるま市石川にも収容所が設置されていた。 当時、石川は美里村に属している小さな農村でしかなかったようだが、 米軍が本島や離島のあち…

72年前のきょう 1945年5月6日 「連れていってください」

72年前の沖縄戦で重傷を負った日本兵に待っているのは、「死」のみである。 青酸カリを渡された者もいれば、手榴弾を握らされた者もいる。 助けたくても、助ける術がない。 物資が乏しい国に生まれ、その国が戦争という誤った道を歩んだために、 戦場へと送…

72年前のきょう 1945年5月5日 「最後の一人まで」

『濫りに玉砕することは予の本意ではない。予が命を受けて、東京を出発するに当たり、陸軍大臣、参謀総長は軽々に玉砕してはならぬと申された。なお残存する兵力と足腰の立つ島民とをもって、最後の一人まで、そして沖縄の島の南の崖、尺寸の土地の存する限…

72年前のきょう 1945年5月4日 「日本軍の総攻撃」

もし、あなたの周りに「憲法を改正したい」という人がいて、 正式に「自衛隊」を「日本軍」にしたいと主張していたら、 その人たちに、 自ら率先して戦闘の最前線に立てるのかどうかを問うてほしい。 その答えが、「自衛隊に任せればいい」という、他人ごと…

72年前のきょう 1945年5月3日 「戦勝前祝会」

今日は憲法記念日。施行から70年になる。 その日本国憲法が施行される2年前、 72年前の今日、 首里城の地下にあった第32軍の司令部壕では、各部隊の首脳らが集い、酒が振る舞われていた。缶詰を使った料理ではあったが、ご馳走が並んでいた。 72年前の今夜遅…

72年前のきょう 1945年5月2日 「私もウチナーンチューです」

世界各地には、沖縄県出身者やその子、孫、ひ孫たちがいる。 昨年10月には、彼らが故郷を訪れて、繋がりを広げ、絆を深めるための『世界ウチナーンチュ大会』が開催された。 大会に参加したウチナーンチュは皆、自身のルーツを誇りにし、世界各地で頑張って…

72年前のきょう 1945年5月1日 「軍刀を振るって突撃」

72年前、『沖縄守備軍』と言われた第32軍。 その司令官である牛島満陸軍中将を始めとする軍首脳らの態度には、呆れ果てる。 自身のプライドや栄光にしか興味がなく、人命などには関心がない。 沖縄の住民を守る『守備軍』ではなく、日本本土を守るための、い…

72年前のきょう 1945年4月30日 「海兵隊の南下」

1945年4月1日、米陸軍と共に沖縄島に上陸した米海兵隊。 その後、沖縄島中部を横断し、中部東側海岸一帯を制圧した。 勝連半島沖に浮かぶ島々を制圧した米軍は、海兵隊だった。 さらに中部から北上し、本部半島を含む北部一帯を制圧したのも海兵隊だった。 …

72年前のきょう 1945年4月29日 「それぞれの天長節」

今日は『昭和の日』。 いつの間にか、そのような名称の祝日になった。 10年前までは、『みどりの日』。 headlines.yahoo.co.jp 昭和天皇が崩御する前までは、『天皇誕生日』と呼ばれ、 戦前、戦中は『天長節』と呼ばれた。 「日本大百科全書(ニッポニカ)の解…

72年前のきょう 1945年4月28日 「米軍部隊の交替」

72年前の4月末、沖縄本島で地上戦を展開していた米軍兵は、疲れきっていた。 日本軍の抵抗は、米軍の想像以上だったようだ。 しかし、日本軍も疲れていたし、なによりも多くの死傷者を出していた。 日本軍が南風原(はえばる)に置いた陸軍病院壕では、軍医や…

72年前のきょう 1945年4月27日 「戦場の市町村会議」

最近、なにかとお騒がせな安倍政権の閣僚や政務官たち。 本当に国民のことを考えているのか?と思うほど。 そして、森友学園問題に見られるように、 日本国の官僚も、国民目線で仕事をしているようには思えない。 彼らに足りないのは、自身が国民を代表して…

72年前のきょう 1945年4月26日 「前田高地の激闘始まる」

72年前の今日、日本兵により男性2人が殺された。 ryukyushimpo.jp それは、東村有銘で起きた。 1人の学徒が米兵に連れられた避難民2人と遭遇した。米兵が銃を向けたため、学徒は来た道を引き返した。 そんな怖い思いをした日の夕方、学徒は避難民2人の遺体が…

72年前のきょう 1945年4月25日 「津堅島と北部山中の悲劇」

沖縄の悲劇はつづく。 今日は、それが決定的になった日だ。 これから、200年も300年も、悲劇がつづく。 子や孫の時代まで…という、数十年単位の話ではない。 あなたの曽孫の、またその曽孫の代、そして、それ以降の世代までにも、 悲劇はつづくのだ。 先代か…

72年前のきょう 1945年4月24日 「津堅島の悲劇・前夜」

昨日、うるま市の市長選挙が行われた。 「チーム沖縄」と称する、自称「沖縄の保守」の安倍ポチ・ワンワンな、沖縄の残念な自治体首長の1人である現職の島袋俊夫氏が再選を果たした。 NHK沖縄放送局は今日の夕方のニュース番組の中で、島袋市長をスタジオに…

72年前のきょう 1945年4月23日 「第1防衛線の崩壊」

2017年4月23日 日本メディアは、朝から晩まで北朝鮮の脅威を報道している。 ついには、ミサイルが首都圏に堕ちたら…とか、 化学兵器が使用されたら…とか、散々不安を煽っている。 なのに、 そうならないよう、日本国政府が「何を」しているのかは、まったく…

72年前のきょう 1945年4月22日 「伊江島の集団自決」

2017年4月22日 伊江島では今日から「第22回 伊江島ゆり祭り」が始まった。 第22回伊江島ゆり祭り | 伊江村公式ホームページ 伊江島ゆり祭りオフィシャルブログ 青い海に囲まれた島に、真っ白に咲くテッポウユリ。 この祭りは、島おこしや観光イベントの一環…

72年前のきょう 1945年4月21日 「郷土沖縄を救え・郷土は自分で護れ」

2017年4月21日 日本軍は、沖縄の少年たちをゲリラ兵士として訓練した際に、 「自分の郷土は自分で護れ」と叩き込んだ。 大日本帝国の野望のために、世界各地の大国にケンカを売った日本。 日本軍は、沖縄を要塞として使うために、 勝手にドカドカと入り込ん…

72年前のきょう 1945年4月20日 「後方で進む基地建設」

2017年4月20日 よく、沖縄の米軍基地は『県民が収容所に入れられている時に造られた』と表現されることがある。 沖縄県民の一部の人たちにとっては、確かにそうだ。 しかし、米軍は、兵士らが前線で戦っている最中、後方で基地を造っていた。 そう、沖縄県民…

72年前のきょう 1945年4月19日 「米軍の総攻撃・耕す戦法」

2017年4月19日 米軍は、沖縄戦で「これでもか、これでもか!」というくらいに爆弾を落とした。 空から、海から、地上でも。 沖縄島上陸前の艦砲射撃や空爆でも足りなかった。 何十万発という砲弾を撃ち込んでも、まだ足りなかった。 72年前の今日、米軍は洞…

72年前のきょう 1945年4月18日 「戦場の女性たち」

2017年4月18日 防衛省は今日、『女性自衛官の配置制限を今月からほぼすべての部隊で撤廃すると発表した。』 mainichi.jp 『陸自の普通科中隊、戦車中隊、偵察隊などへの配置を新たに解禁し…』とあるが、この「普通科」とは、軍隊でいう「歩兵隊」に相当する…

72年前のきょう 1945年4月17日 「馬乗り攻撃と火炎放射器」

2017年4月17日 アメリカは、開発した最新兵器を戦場で試す。 太平洋戦争でアメリカは、火炎放射器を使った。 文字どおり、敵めがけて「火炎を放射」するのである。 兵士が背負えるような携帯型もあれば、戦車から火炎を吹き付ける型もあった。 そんな恐ろし…

72年前のきょう 1945年4月16日 「伊江島の六日戦争はじまる」

2017年4月16日 今の世の中で、『砲弾から抜きとった火薬をつめた箱を持って身体ごと体当たり』して『自爆』した者がいたというニュースが流れたら、皆がそれは『テロ』だと思うだろう。 72年前の今日、本部半島の西に浮かぶ伊江島では、島に上陸してきた米軍…

72年前のきょう 1945年4月15日 「北部の学徒隊」

2017年4月15日 『だぶだぶの軍服に、ひと回りも大きな軍帽をあごひもで締め、歩くたびにパカパカ音のするばかでかい文教の軍靴をはき、腰には手榴弾をぶら下げ、弾薬箱や米俵を背負った、年のころ14、5歳の少年学徒兵の姿を、わたくしたちは沖縄のあちこちで…

72年前のきょう 1945年4月14日 「やんばるのゲリラ戦」

2017年4月14日 昨年、「やんばるの森」が国立公園に指定された。 その大部分は、今も米海兵隊が「ジャングル戦闘訓練」をする北部訓練場が占める。 72年前、日本軍は10代の少年たちを使って、ゲリラ戦を展開していた。 少年たちは、少人数で森を歩きまわり、…

72年前のきょう 1945年4月13日 「生まれた疑心暗鬼」

2017年4月13日 72年前の昨日、沖縄にいた第32軍は夜襲に失敗していた。 物資も、兵力も乏しい中、各方面へのメンツを気にしたがために、 戦略を変更して、無理に攻勢に出た。 その結果、多大な犠牲を出した。 一つの戦闘に失敗した原因は、色々あっただろう…

72年前のきょう 1945年4月12日 「この島を守っているのは兵隊だ」

2017年4月12日 ここ数日、北朝鮮と米国の「チキンゲーム」が報道され続けている。 北朝鮮は、世界最強の軍隊を持つ米国に挑発的だ。 どこかで見た、聞いた光景。 それは、まるで72年以上も前の日本国の姿を見ているようだ。 国民がひとりの人間を崇拝し、富…

72年前のきょう 1945年4月11日 「激しさを増す神風特攻」

2017年4月11日 72年前の今日、南西諸島近海では日本陸海軍の航空機による特攻が激しさを増していた。 彼らは命を捨てて、なにを達成しようとしたのか。 命を捨ててまで護ろうとした日本国土に、 彼らの没後から72年が経過した今でも、敵の基地が蔓延る今の状…

想定された本土決戦とは

2017年4月11日 ■ 想定された本土決戦とは ■ 戦争で失われた命をもう一度殺すようなものだ、戦争公文書を抹消するということは、そういうこと。 なぜ今、戦争公文書が500冊も破棄されたのか。データーも取らないで、抹消処分 !? 今、教育勅語やら銃剣道な…

72年前のきょう 1945年4月10日 「米軍、津堅島に上陸」

2017年4月10日 米軍は、沖縄本島周辺の離島も攻撃した。 なぜか。 それは、離島に日本軍が配置され、陣地も構築されていたから。 日本軍は、沖縄本島周辺の島々を天然の要塞と考え、特攻部隊などを置いていた。 命令が下れば、本島周辺の島々から米軍を奇襲…

72年前のきょう 1945年4月9日 「嘉数の闘い」

2017年4月9日 もし、1日に800人が死傷するような戦闘が、いまの時代に起こったら、 世界各国のメディアが大々的に報じることだろう。 72年前の今日、いまは普天間基地となってしまった地域の南にある嘉数高地で、 日米双方で800人もの死傷者を出す「白兵戦」…

島唄

2017年4月9日 ■ 島唄 ■ 今年もデイゴの花咲く季節になりました。デイゴの花を見ると、THE BOOMの名曲『島唄』を思いだします。 他府県出身の宮沢さんが、他府県出身だからこそ、沖縄戦の悲劇に衝撃を受け、作り生まれた歌。 沖縄の哀しみ 、嘆き、憤り。「島…

72年前のきょう 1945年4月8日 「首里の攻防・第1線」

2017年4月8日 ニュースなどで流れる普天間基地の映像を目にすることがあると思う。 格納庫の前にズラリと並んだオスプレイの映像。その手前には住宅地が広がっている。 みなさんは、それらの映像が撮影されている場所をご存知だろうか? あれは、宜野湾市に…

72年前のきょう 1945年4月7日 「帝国海軍連合艦隊のさいご」

2017年4月7日 日本国は大国ではない。また、大国にはなれない。 なぜなら、資源が乏しい島国だから。食糧さえも自分たちで賄えない。 燃料も、食糧も、輸入に頼る国が「大国」になれるはずがない。 変な「たとえ」かもしれないが、大日本帝国は、西の横綱2人…

72年前のきょう 1945年4月6日 「日本海軍の総攻撃」

2017年4月6日 沖縄戦を学べば学ぶほど、当時の日本国の指導者や軍の上層部が、いかに自信過剰で傲慢な人びとであったかがよくわかる。 食糧も、燃料も、物資も乏しい島国日本が、大国に勝てるはずはない。 なのに、「国体護持」のために、若い青年たちを飛行…

72年前のきょう 1945年4月5日 「沖縄にできた米軍政府」

2017年4月5日 軍隊の仕事は戦争だ。 戦争の足かせ、邪魔になる民間人は、戦地から排除しなければいけない。 大陸などの陸続きの国なら、避難民となって国外に逃れることもできるだろう。 でも、沖縄では小さな島々に人が住んでいる。それらの島々から大勢の…

教育勅語と御真影 ― 戦火の「御真影奉納隊」

2017年4月4日 なんてことだ !平成の時代に「教育勅語」。 教育勅語、教材で用いること否定せず 政府が答弁書:朝日新聞デジタル 教育勅語を知らない世代の私たちは、「親兄弟友達を大事にしよう、良いんじゃない?何が問題なの?」と深く考えることなくうけ…

72年前のきょう 1945年4月4日 「沖縄攻略のためのインフラ整備」

2017年4月4日 ■ 72年前のきょう 1945年4月4日 「沖縄攻略のためのインフラ整備」■ 米軍は、戦後に基地を建設し始めたのではない。 沖縄に上陸すると、すぐに開始した。 基地といっても、今のようにフェンスで囲まれた「リトル・アメリカ」ではなかった。 上…

72年前のきょう 1945年4月3日 「日米両軍の作戦変更」

2017年4月3日 米軍が沖縄に上陸した理由。それは、日本本土への「出撃基地」にするためだった。 でも米軍は、太平洋戦争が終わっても沖縄を「出撃基地」として使っている。 米軍の爆撃機は、嘉手納飛行場から朝鮮半島やベトナムへと飛んだ。米軍が戦争をする…

72年前のきょう 1945年4月2日 「南北に分断された沖縄島」

2017年4月2日 72年前の今日、読谷村にあるチビチリガマに避難していた住民約140人のうち、83人が集団自決でこの世を去った。 ガマの外にいる米軍は「デテコイ」と言っている。食べ物を置いていったが、毒が盛られているかもしれない。「鬼畜米英」など信じら…

72年前のきょう 1945年4月1日 「米軍、沖縄島に上陸」

2017年4月1日 キャンプ・シュワブのゲート前で座り込みを始めて、今日で1000日。 米軍が嘉手納基地を占領するようになって、今日で72年。 そう。 米軍が沖縄島に足を踏み入れ、西太平洋における米国の「不沈空母」として基地を整備・建設し始めて、今日で72…

72年前のきょう 1945年3月31日「沖縄島上陸・前夜」

2017年3月31日 遠いアフリカ大陸で、隣国同士が戦争したり、民族同士で内戦したり、そういう報道が流れるとき、たまに目にするのが「少年兵」の姿だ。 戦争で親を失って孤児となった彼らは、幼い頃から麻薬漬けにされ、戦闘部隊に組み込まれると聞く。 ニュ…