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儀間比呂志さん

2017年4月12日

儀間比呂志さん ■

沖縄と平和を表現しつづけた沖縄の芸術家がまたひとり亡くなった。

本土からは今の沖縄はどんなふうに見えただろうか。

詩画集「日本が見える」から一つの作品をご紹介。
詩…新川明
版画…儀間比呂志

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儀間比呂志さん死去、
沖縄を代表する版画家・絵本作家、94歳
2017年4月11日 22:18

  沖縄でたくましく生きる人々の姿を力強いタッチで刻み続けてきた、沖縄を代表する版画家・絵本作家の儀間比呂志(ぎま・ひろし)さんが11日午前3時15分、肺炎のため大阪府河内長野市の病院で死去した。94歳。

 沖縄戦沖縄の風景、女性の姿を大型の版画作品で描いたほか、多数の創作絵本を出した。自宅は大阪府大阪狭山市茱萸木(ぐみのき)4丁目1162の4。通夜は14日午後7時、葬儀は15日正午からいずれも大阪府大阪狭山市茱萸木1丁目277の1、セレモ大山で。喪主は長男修(おさむ)さん。

 儀間さんは1923年那覇市生まれ。青年時代を過ごした旧南洋群島テニアンで版画の手ほどきを受けた。戦後、大阪市立美術研究所で絵を学び、70年から版画に専念し、上野誠に学んだ。「ふなひき太良」(毎日出版文化賞)以来、多くの創作絵本を手掛け、「鉄の子カナヒル」などで多くの賞を受けた。版画集「戦がやってきた」「沖縄戦朝鮮人軍夫と従軍慰安婦」など、戦争を告発する作品を世に問うてきた。

 2006年には83歳で豊見城市にアトリエを構え、大阪と行き来をしながら琉球新報に連載した「みのかさ部隊」などの制作に打ち込んだ。若い世代とのコラボレーションにも積極的に取り組み、県出身ロックバンド、モンゴル800と詩画集「琉球愛歌」を作った。12年に琉球新報賞。90歳を過ぎて大阪に戻っていた。【琉球新報電子版】

ryukyushimpo.jp

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北朝鮮→「われわれの核の照準は韓国と太平洋区域の米国の侵略的基地」

2017年4月11日

北朝鮮→「われわれの核の照準は韓国と太平洋区域の米国の侵略的基地」 ■

つい先程、北朝鮮北朝鮮機関紙「労働新聞」において

「米国による先制攻撃の兆候があれば米国に核攻撃する」と表明した。

「敵部隊のあらゆる動きに目を光らせており、われわれの核の照準は韓国と太平洋区域の米国の侵略的基地だけでなく、米国本土にも向いている」

との指摘も。

「米軍基地があることで米軍の軍事行動に加担してしまい、報復拠点として狙われてしまう」という米軍基地反対運動の声は、まさに現実味を帯びてきた訳である。

標的になった沖縄。標的になった日本。

軍は死をもたらす組織だ。軍事行動はさらなる軍事報復に繋がる。

島に核ミサイルが飛んできたら、いったいどこに逃げると?

もう、ガマに隠れても無駄なのだ。

逃げる暇も方法もない。

絶望と廃墟の死の島になるだろう。

軍事基地があるということは、そういう事だ。

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2017年 04月 11日 19:47 ロイター

北朝鮮、米国の挑発あれば核攻撃すると警告=労働新聞

 4月11日、北朝鮮は、米国による先制攻撃の兆候があれば米国への核攻撃すると警告した。写真は北朝鮮の国旗、2014年ジュネーブで撮影(2017年 ロイター/Denis Balibouse)
 
[ソウル 11日 ロイター] - 北朝鮮は、米国による先制攻撃の兆候があれば米国に核攻撃すると警告した。米原子力空母などが太平洋西部に向かっているが、北朝鮮の機関紙、労働新聞は、米国によるいかなる攻撃にも反撃する用意があると表明した。

「わが革命的に強力な軍は、敵部隊のあらゆる動きに目を光らせており、われわれの核の照準は韓国と太平洋区域の米国の侵略的基地だけでなく、米国本土にも向いている」と指摘した。

jp.reuters.com

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72年前のきょう 1945年4月11日 「激しさを増す神風特攻」

2017年4月11日

72年前の今日、南西諸島近海では日本陸海軍の航空機による特攻が激しさを増していた。

彼らは命を捨てて、なにを達成しようとしたのか。

命を捨ててまで護ろうとした日本国土に、

彼らの没後から72年が経過した今でも、敵の基地が蔓延る今の状況を想像しただろうか。

命を捨ててまで「鬼畜米英」を攻撃した日本兵

彼らの死を美化するネトウヨだが、米軍にも熱心に尻尾を振る。

そんな日本にするために、日本兵は死んだのだろうか。

72年前の今日、沖縄本島中部の嘉数集落周辺に布陣していた日本兵は、丘を登ってくる米軍と死闘を繰り広げていた。

爆弾を抱えて穴に入り、迫り来る戦車めがけて投げつける。

「タコツボ」と呼ばれたその穴で、敵の鉄の塊が近づいてくるのをジッと待つ。

命をかけて「タコツボ」にいた日本兵は、なにを達成しようとしたのか。

彼らが「タコツボ」から見た景色、嘉数の高台から見た景色の先は、

「鬼畜米英」の航空基地となった。兵站基地となった。

それを『日米同盟』といって賞賛するネトウヨ

72年前に命を捨てた日本兵らは、こんな日本にするために死んだのか。

neverforget1945.hatenablog.com

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想定された本土決戦とは

2017年4月11日

■ 想定された本土決戦とは ■

戦争で失われた命をもう一度殺すようなものだ、
戦争公文書を抹消するということは、そういうこと。

なぜ今、戦争公文書が500冊も破棄されたのか。
データーも取らないで、抹消処分 !?

今、教育勅語やら銃剣道なるものが教育現場に入りこもうとしているなかで、戦争の記録そのものが書き換えられ、あるいは抹消されようとしているのではないか。

本土決戦の全貌、本土決戦に向けた訓練の貴重な証言、沖縄戦における天皇の関与など。@unspiritualized さんのツイートのおまとめがでました。

『マジか…。ここには本土決戦での住民ゲリラ化計画に関する貴重な文書があるんだが、まさか捨ててないだろうな・・・千葉県史の7巻に部分が載ってるヤツ。

『これは、本土決戦と住民との関わりにおいて、軍が地方自治外の行政を通して何をしようとしていたかを如実に示す貴重なものです。

沖縄戦でも住民の戦闘への巻き込みは行政と軍が連関して為されました。本土で県の文書として残っているのは、私の知る限り千葉県だけです。次に内容を紹介します。

■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
千葉県
戦争公文書500冊廃棄 戦没者名簿など
毎日新聞
2017年4月7日

https://mainichi.jp/articles/20170407/k00/00m/040/133000c


 千葉県が作成・保存する公文書を収集する県文書館が昨年、戦没者名簿や遺族台帳など第二次世界大戦の関係文書約500冊を廃棄していたことが学術団体などの調べで分かった。県は「『不要』と言い切れないものもあった」と落ち度を認めている。1952年度までに作成・取得した公文書を「歴史公文書」として文書館で保管するよう定める県の内規にも違反する運用だったという。

【廃棄された戦争関係資料の表題】 .

 県文書館は2016年3月までの1年間に所蔵公文書1万177冊を廃棄した。歴史的文書や記録の保存・活用などについて研究する「日本アーカイブズ学会」などが県に確認したところ、この中には戦没者遺族台帳、復員者名簿、県内から旧満州(現中国東北部)への移民団名簿などが含まれていた。

 同館によると、それまでは収集すべき文書の具体的な判断基準がないまま保存期間「長期」(永年保管)の文書を一括して収集・保存してきた。中には「歴史公文書とはいえないもの」(県文書館)もあり、県は14年に行政文書管理規則を改正。保存期間の上限を「30年」に改め、15年度からは30年超の文書について、元の所管課の意見を踏まえ、「歴史公文書」に該当しないと判断した資料の廃棄を進めた。要不要の判断も、ほとんどは中身の確認をせずに文書の表題が記載されたリストのみで行ったという。

 戦争関連文書を所管する健康福祉指導課は不要と判断した理由を「表題は名簿でも、中身は政府の通知や、戸籍などで代用できるものが大部分だ」と説明するが、廃棄した書類には、規則改正と同時に定めた内規で、保管対象とする「52年度までに作成・取得された文書」も含まれていた。文書館の道上みゆき副館長は「改正規則の運用を始めた最初の年度で不慣れな点もあった」と話す。

 同学会など歴史学関係14団体は2月、県に廃棄停止を要望。文書館は16年度の廃棄を延期し、第三者に意見を求めるなど、廃棄の判断方法について見直しを検討している。【渡辺暢】

「何を基準に捨てたのか疑問」

 加藤聖文・国文学研究資料館准教授(日本近現代史、歴史記録学)の話 戦争直後に作られた記録は、既に歴史的資料となっており無条件で残すべきだ。特に人の生き死にの問題を記録した文書は県民の歴史として伝えるべきもの。何を基準に捨てたのか疑問だ。

廃棄された戦争関係資料の表題

・遺族関係……「遺族台帳 久留里町」「遺族台帳 東金市」など

・移民関係……「開拓団資料」「千葉県送出移民団名簿」など

・収容所関係…「収 ウランバートル地区」など

・復員関係……「復員資料(22号)」「歩 247連復員名簿」など

・軍歴関係……「歩280部隊資料」「軍歴例 南方、ビルマ、沖縄」「軍歴例 ニューギニア」など

戦没者関係…「戦没者調査表」「戦没者名簿 市原郡高滝村」など

※台帳や名簿は当時の自治体ごとに分類されていたものが複数あった。

togetter.com

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72年前のきょう 1945年4月10日 「米軍、津堅島に上陸」

2017年4月10日

米軍は、沖縄本島周辺の離島も攻撃した。

なぜか。

それは、離島に日本軍が配置され、陣地も構築されていたから。

日本軍は、沖縄本島周辺の島々を天然の要塞と考え、特攻部隊などを置いていた。

命令が下れば、本島周辺の島々から米軍を奇襲するはずだったし、逆上陸して本島の部隊に合流することもできる。

だから米軍は、沖縄本島に先がけて慶良間列島を制圧したし、その後、伊江島にも上陸する。

だがその前に、勝連半島沖に浮かぶ島々を偵察し、津堅島に日本軍の陣地があることをつきとめた。

そして、72年前の今日、津堅島に米軍の攻撃部隊が上陸。

津堅島は平坦な島で、住民が身を隠す場所は限られていた。

後日、ここで紹介することになるが、津堅島にいた日本軍の部隊は、負傷した兵士や住民を残して島を去る。

離島に配置される兵力が「住民の安全確保のため」でないことは、歴史が証明してくれている。

neverforget1945.hatenablog.com

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北島角子さん 逝く

2017年4月10日

北島角子さん

いっぺー、にふぇーでーびたん。

ご冥福をお祈りします。

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 沖縄戦沖縄戦後史を題材に平和の尊さを伝える一人芝居などで活躍してきた女優の北島角子(きたじま・すみこ、本名・町田角子)さんが9日午後7時10分、腎細胞がんのため那覇市の病院で亡くなった。85歳。

 1931年、本部町生まれ。役者の父・上間昌成さんが巡業していた南洋パラオで戦争を体験した。田井等高校(現名護高)卒業後、父の影響で芝居の道へ。演劇集団「創造」の「人類館」(知念正真作)への出演で従来の沖縄芝居から表現の幅を広げた。
 79年の「島口説」(謝名元慶福作)から一人芝居に挑み、自らの作品も次々と生み出した。RBCiラジオの長寿番組「民謡で今日拝なびら」のパーソナリティーも63年から2016年まで務めた。01年からはほぼ毎年、佐喜眞美術館で「こどもの日公演」として芝居を上演した。

 1981年に文化庁芸術祭優秀賞。89年に沖縄タイムス芸術選賞大賞。96年に山本安英賞、県文化功労者。99年に県指定無形文化財琉球歌劇」保持者認定。2006年に琉球新報賞。12年度に県功労者。16年に旭日双光章。
 「民謡で-」で長年一緒にパーソナリティーを務めた上原直彦さんは「50年も一緒にやっているときょうだいも同然だ。素晴らしい感性を持ち、激しく駆け抜けた人だった。もっとやりたいこともあっただろう。今は頭が真っ白で『ご苦労さま』としか言えない。後に続く人たちが(北島さんが残したものを)つないでいくことが何よりの供養になる」と惜しんだ。【琉球新報電子版】

ryukyushimpo.jp

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英雄とは

2017年4月9日

■ 英雄とは ■

むかし、むかし、沖縄がまだ琉球王国だったころ。

八重山に「オヤケアカハチ」という男がいて、琉球第二尚氏三代目王、尚真が派遣した兵と一戦を交えたそうな。

オヤケアカハチ」はイクサに負けたけど、八重山の英雄として語り継がれている。

オヤケアカハチ」の銅像もあり、子どもたちによる現代版組踊の演目にもなっている。

当時の王府からすると、「オヤケアカハチ」は権力にたてつく「反逆者」。

古今東西、庶民にとっての「英雄」は、権力側にしてみれば「反逆者」である。

『被告は1面トップで英雄扱い』だと?

英雄か、そうでないか…など、権力側に付く産経新聞の記者が琉球新報沖縄タイムスを読んだ「感想文」の中で述べなくてもよろしい。

headlines.yahoo.co.jp

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